前回の弧月は完全なる大当たり。
その後のテニスでも最近は完膚なきまでにボコボコのボコにされていた先輩との一戦で6-2、6-2、6-3の完勝。
先輩が最近の俺との試合で圧勝続きだったから油断していたのもあるとは思う。
しかしながら完敗していた頃の俺の返球クオリティでは攻めの起点になっていた、というか凡ミスしていたシチュエーションでも、厚い当りのスピンで深く返球出来る割合が増えたのは間違いない。
その翌日のテニスでも確たる手応えをずっと持つ事が出来た。
この再現性は間違いないのだろう。
そうなってくると如実に浮かび上がってくるサーブの弱さ。
サーブも弧月でイケるかと思ったのだが人生はそんなに甘くない。
弧月で払い上げながらスピンを掛ける感覚を強く感じられる時もあるし、厚い当りが生まれた時もある。
先輩とシングルスをやった日はそこそこ調子が良かったけど、翌日は糞サーブを存分に披露してきた。
フォアやバックハンドと決定的に違うのが体の力が伝わっていく感覚が無いこと。
構えてから振り始める際にフォアとバックは『グッ』っと力が凝集するのだけど、サーブにはそれが無い。
皆無だ。
不思議なことにトスが頭の後ろに流れ過ぎてしまった時に無理矢理打つと力が凝集した感覚を得る事が出来る時がある。
もちろんそんなトスでは再現性は低く、ガショったり、カショったりで使えるわけが無い。
直近で意識していることは二つ。
・顔をガン上げすること
・弧月で打つこと
顔が落ちてしまうと上に振れない。
体が開いてしまって下から上へのスイングが崩れてしまって、弧月のラケット軌道が下から上では無く、横ベクトルになってしまう。
では何故フォアやバックみたいに力の凝集感が無く手打ちになってしまうのだろうか?
そんなワケでフォアやバックとの違いを考えてみる。
左手の使い方?
いやいや、バックハンドに左手の使い方とか無いし。
すると浮かびあがってきたのが胸とボールの位置関係。
このようにフォアやバックハンドの場合は胸はボールの方向を向いている。
サーブの場合は顔だけがボールを向いていて胸は全くボール方向に行っていない。
そういえば人間の力の入る場所というのは胸の前であるのは定説。
またプロのインパクト前は胸がボールに向いている。
顔だけじゃアカンのだ。
そういえばボールが頭の後ろに流れた時というのは体の軸を傾けざる得ない状況で、意図せず胸がボールを向いている状況となっていたのだ。
したがって意識すべきは顔をガン上げでは無く、胸をガン上げ。
胸を上げれば顔も勝手に上がる。
おおおぉぉぉ!!!
この図だけでも顔だけの時よりかなり強そうだ!!
ここで注意したいのが腰から曲げたらアウトということ。
こんな風に腰から曲げると、腰を戻すためのエネルギーが莫大。
打ち続ける体力も必要だし、何よりも腰を戻すためにエネルギーを使うという時点でエネルギーがボール以外に行ってしまっているということ。
遥か昔の俺のサーブが完全なるエビ反りサーブだった。
胸を上に向けるでぐぐっていると素晴らしい内部意識の持ち方を発見した。
『みぞおちを持ち上げる』
なるほど。
胸を上げるという意識だと胸の上部が上に向く感覚になるが、みぞおちを上げる意識だと胸全体が上を向くようになる。
試しにみぞおちを上げる意識で素振りをしてみると感じ取ることが出来る力の凝集感。
素振りの時に顔をガン上げでも感じたこともあって、再現性に乏しいと感じていたのは胸の向きが素振りの度に異なっていたためか。
この素振りの感覚だと来た気がする。
みぞおちを上に向けるサーブ。
みぞおちとは別名:水月。
ということは弧月と水月の合体技だ。
弧水と名付けよう。
この弧水で俺のサーブは劇的な進化を遂げるのだ。
今回のブレイクスルー